投信ヒストリア

今まで、どのようにマーケットは推移してきたんだろう?

  • 1950年代
  • 1960年代
  • 1970年代
  • 1980年代
  • 1980年代
  • 2000年代
  • 2010年代

1950年~1959

主権の回復と高度経済成長への道

もはや戦後ではない

もはや戦後ではない――56年の経済白書の宣言は、戦争で打撃を受けた日本経済が、復活への道を歩み始めた50年代を象徴する言葉だ。きっかけとなったのは朝鮮戦争。米軍への補給物資の支援によって経済は回復(朝鮮特需)し、造船、鉄鋼、電機などの産業が発展。長期の好景気に恵まれ、高度経済成長を迎えた。
とはいえ、生活はまだまだ貧しく56年の高校進学率は51.3%。家計を理由に進学を諦めざるを得ない人も多かった。政府が貯蓄を推進する運動を起こしたのもこの時代。52年に貯蓄増強中央委員会(現在の金融広報中央委員会)が発足し、貯蓄の奨励や指導活動を全国で展開。金融機関の貯蓄推進活動として、小・中学校入学時に子供名義の通帳(子供通帳)を贈るサービスもあった。

「投資信託」誕生

現行の投資信託は51年に制定された「証券投資信託法」とともに誕生した。その後紆余曲折を経て発展し、2011年には「還暦」を迎えるなど、歴史を刻んでいる。戦後の復興資金を市民から調達する政策的要請から生み出された投資信託だが、朝鮮戦争後の好況を反映した株価上昇により、軒並み大幅上昇するなど、好調なスタートを切った。

(出所)Bloomberg、日本銀行の月次データをもとに大和住銀投信投資顧問作成(1950年1月末~1959年12月末)

1960年~1969

高度経済成長が進み日本が最も輝いた時代

年率約10%成長

東京五輪が開かれた60年代は、日本が最も輝いていた時代と言えるかもしれない。年率約10%の高度経済成長の主役を担ったのは自動車、鉄鋼、電化製品等の輸出産業で、ソニーやトヨタが世界企業に成長。GDPで西ドイツ(当時)を抜き、世界第2位に躍り出た。 家計の貯蓄率が上がったこの頃の資産運用で、受け皿の主力になったのが預貯金だ。預貯金が活用された理由は、利便性にあったと言っていいだろう。当時の給与支給は現金手渡しが一般的で、口座振込が普及したのは70年代以降。給与から生活費を除いた「現金」を運用に回すことになるが、店舗数が多く、少額でも「集金」に来るサービスもあった銀行や郵便局は使い勝手がよかった。為替は1米ドル=360円の固定相場制が採られていた。

銀行よさようなら、証券よこんにちは

株式市場の高騰を背景に投資信託の残高は、62年までに約1兆2,000億円へと増大。この勢いは、「銀行よさようなら、証券よこんにちは」というフレーズが流行るほどだった。その後の証券不況を受け株式組み入れの投信が低迷する一方、国債発行再開など債券市場の拡大とともに債券組み入れの投信は増加傾向となった。

(出所)Bloomberg、日本銀行の月次データをもとに大和住銀投信投資顧問作成(1960年1月末~1969年12月末)

1970年~1979

高度経済成長から安定成長に移行

二度のオイルショック

高度経済成長から安定成長に移行した70年代。そのきっかけとなったのが、二度のオイルショック(石油危機)だ。安価なエネルギーに頼っていた日本経済は構造的な変革を求められたが、「省エネ」などの技術革新で克服。年率4%超の成長を続けた。70年代の運用環境は「古きよき時代」だったかもしれない。運用先は預貯金が主力で、頭を悩ませる人は少なかった。預貯金が支持を受けた理由は収益性の高さ。74年末の定期預金(満期2年)の金利は8%の水準だ。加えて人気を支えたのが、マル優制度の存在。預金300万円、郵便貯金300万円、国債など300万円の、合わせて900万円までの利子が非課税で、家族名義で利用する人も多かった。市場で注目されたのがニクソン・ショック。為替相場が変動相場制に変わった。

投資対象は国内から海外へ

70年に、日本の対外証券投資自由化の先陣を切って投信による海外投資が認められた。翌年には外国証券を組み入れたファンドが登場し、個人投資家に国際分散投資の道が開けた。また、73年には為替が変動相場制となり、その後海外投資に伴う為替ヘッジの先物予約が可能となったことで、為替リスクの回避手段として活用された。

(出所)Bloomberg、日本銀行の月次データをもとに大和住銀投信投資顧問作成(1970年1月末~1979年12月末)

1980年~1989

昭和から平成 時代はバブルに

ジャパン・アズ・ナンバーワン

ジャパン・アズ・ナンバーワン――社会学者エズラ・ヴォーゲルが日本的経営を高く評価した著書のタイトルだ。80年代の日本は繁栄を果たし、経済大国としての地位を高めた。時代の象徴とも言えるのが86年に始まったバブル景気。東京23区の地価で米国全土を買えると言われた資産価格の上昇は、個人消費を加速させた。80年代の運用で注目される1つは、預貯金以外への関心が高まったこと。信託銀行がビッグ、長期信用銀行がワイド、証券会社が中期国債ファンドを販売したが、優位性で商品を選ぶ傾向が強まった。次に、証券会社の敷居が低くなったこと。87年に売り出されたNTT株の急騰を目にして、個人の投資熱が一気に高まった。根強い支持を得たのが郵便局の定額貯金だ。「10年で元本が2倍になる商品」として人気を集めた。

投資信託の黄金時代

80年代は「中期国債ファンド」の登場で幕を開けた。実勢金利の高利回りと普通預金並みの利便性から、他の預貯金から投資信託への資金移動を起こすなど、日本の金融革命の引き金となった。また、株式市場の活況を背景に、株式を組み入れた投信も次々と設定され、投信残高はこの10年間で10倍程度の約58兆円へと急増した。

(出所)Bloomberg、日本銀行の月次データをもとに大和住銀投信投資顧問作成(1980年1月末~1989年12月末)

1990年~1999

バブル崩壊からデフレ不況へ

失われた10年

失われた10年――バブル崩壊からデフレ不況に苦しんだ91年以降はよくこう言われる。80年代の成長率の平均が4%超だったのに対し、90年代は1%台。安定成長時代は、突然終わった。時代を象徴する出来事が、北海道拓殖銀行と日本長期信用銀行の経営破綻だ。バブル時の不良債権処理が原因だが、信用不安が広がった。 個人の運用で起きたのが、株式からの退避だ。90年に3万8,712円で始まった日経平均株価は、92年に1万4,309円まで下落。確定利付き商品への回帰が起こった。とはいえ、景気回復を目指す金融緩和による低金利時代。収益性に悩む人が増えた。そんな中、96年からスタートしたのが金融ビッグバンだ。投資信託の銀行窓販の解禁や、銀行による一般向け外貨預金が販売された。

銀行窓口販売解禁

株式市場が急落し、長期低迷期を迎えた投信市場だったが、市場の回復とともに98年より開始された銀行による窓販が救世主となった。銀行のほか、生命保険会社などにも投信の販売窓口が広がり、投信の認知度を飛躍的に向上させることとなった。また、預金金利が低下していくなか、MMFが注目を浴びたのもこの時代のことである。

(出所)Bloomberg、日本銀行の月次データをもとに大和住銀投信投資顧問作成(1990年1月末~1999年12月末)

2000年~2005

グローバル経済と小泉構造改革

日本の一人負け?

これからは日本の一人負け――00年代初頭、市場関係者からは、よくこんな言葉が出てきた。03年の日経平均株価は、当時バブル後最安値となる7,607円まで下落。IT(情報技術)と金融で世界をリードした米国や成長著しい新興国と日本の勢いの差は歴然となった。とはいえ回復の兆しもあった。構造改革を唱える小泉内閣による成長戦略で、株価は05年末に1万6,000円台まで上がった。 ゼロ金利政策がほぼ続き利息を期待できない環境が長引く中、個人の注目を集めたのが外貨建て資産だ。内外の金利差を収益源とする商品がシニア層の間で広まったが、00年~05年は運用のグローバル化が進んだ時期だと言える。為替市場で話題を集めたのが、02年のユーロの通貨流通。ドルに次ぐ第二の基軸通貨と期待され、ユーロ高が続いた。

「毎月分配型」投信に人気集中

00年代に入り日本の超低金利・株価低迷の長期化の中で、年金を補完する運用商品として、毎月分配型ファンドに人気が集まるようになった。特に、主要先進国のソブリン債を組み入れた、いわゆる「グロソブ」は巨大ファンドに成長した。また、インターネットを通じた販売チャネルが注目され、ネット専門の販売会社も出現した。

(出所)Bloomberg、日本銀行の月次データをもとに大和住銀投信投資顧問作成(2000年1月末~2005年12月末)

2006年~2015

リーマン・ショックとアベノミクス

未曾有の危機を乗り越えて

景気回復期待から奈落の底に落とし込まれた日本経済。その引き金となったのが、リーマン・ショックによる世界金融危機だ。09年の成長率はマイナス5.5%と、「100年に1度の不況」の波をもろにかぶった。諸外国と比べて世界同時不況からの回復に遅れた日本だったが、2012年末に発足した安倍政権が掲げた「アベノミクス」によって急速に息を吹き返した。為替相場の円安などにも支えられて、多くの日本企業が好業績を記録。2015年4月には15年ぶりに日経平均株価が2万円台を回復した。2020年の東京五輪開催に向けて、海外の投資家からも熱い視線が注がれている。その半面、日銀による量的質的金融緩和によって歴史的な超低金利環境が続いており、日本国債に代わる新たなインカムドライバーの模索が続いている。

投資対象・運用手法の多様化が進展

超低金利が続く中、従来の債券や株式に加えて、不動産(REIT)や原油等のコモディティなどに投資する商品が設定されるなど、投資対象の多様化が進展した。また、海外の債券などに投資する一方、投資通貨を選択できる「通貨選択型」が注目を集めた。さらに、オプションを組み入れた商品も出現するなど、運用手法も多様化が進んだ。

(出所)Bloomberg、日本銀行の月次データをもとに大和住銀投信投資顧問作成(2006年1月末~2015年11月末)

PICKUPコンテンツ