失われた20年を超えて-「失われた20年」とは何だったのか?

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2017/3/17

経済調査部

部長 門司 総一郎

 

2月末から3月初めにかけ、東南アジアに出張して現地の投資家に日本株の見通しを説明しましたが、その際に自分が強調したのが「失われた20年」は終わったということです。今回と次回の「市場のここに注目」は失われた20年を取り上げますが、今回はその経緯と原因について検討します。

 

失われた20年は1990年代初頭の不動産バブル崩壊に端を発した日本の経済・株式市場の長期停滞を指します。この間経済成長率は一進一退、東証株価指数(TOPIX)もボックス圏での動きを続けました。

日本の実質GDP成長率

 

失われた20年の原因について定説はありませんが、自分はa.不良債権と金融システム不安、b.経済・企業の競争力低下、c.政治の機能不全、の3つの構造問題が原因と考えています。

 

ただし、この3つが失われた20年を通じて影響した訳ではありません。前半(1990-2003)は不良債権問題が、後半(2007-)は残りの2つが原因となりました。

 

1990年のバブル崩壊によって、失われた20年が始まりました。その後、1995-96年や1999-2000年のように景気や株式市場が回復した時期もありましたが、いずれも一時的な回復に止まりました。これはこの回復が金融緩和や財政出動などによるものであり、構造問題にメスが入らなかったことが理由です。当時の構造問題は不良債権と金融システム不安でした。

 

不良債権問題に本格的に手を付けたのが、小泉純一郎首相(当時)です。慶応大学の竹中平蔵教授を金融担当大臣として抜擢、2002年には金融再生プログラムを作成して不良債権問題の抜本的解決に乗り出しました。

 

小泉・竹中コンビの努力の甲斐あって不良債権問題は決着、経済や株式市場は2003年から07年の初めにかけて回復を続けます。自分を含めて多くの人は「失われた10年は終わった」と思いました。

 

しかし実際はそうではなかったことが間もなく明らかになります。リーマン・ショックをきっかけに景気も株式市場も停滞局面に逆戻りしてしまったからです。「失われた10年」は「失われた20年」なりました。

 

ただし、これは不良債権問題の再燃によるものではありません。当時欧米では多くの大手金融機関が破綻、あるいは政府による救済に追い込まれましたが、日本ではそうした事例はありません。これは金融再生プログラムにより不良債権問題が解決され、金融システムが強化されていたためです。

 

にもかかわらず停滞局面に逆戻りしてしまったのは、新たな構造問題の発生によるものです。その構造問題とは日本経済や企業の競争力低下、特に韓国、台湾、中国に対する競争力の低下です。

 

2012年末の第2次安倍晋三内閣発足以来、景気は回復、株式市場も上昇を続けています。しかしこれはアベノミクスの第1、第2の矢である金融緩和と財政出動による部分が大きく、構造問題にメスが入らなければ、1995-96年や1999-2000年のように長期停滞に逆戻りということになりかねません。そうならないための必要条件がアベノミクス第3の矢、成長戦略の遂行です。この点については次回述べます。

 

競争力低下と共に失われた20年後半の原因となったのが、政治の機能不全です。2006年の第1次安倍内閣から2012年の第2次安倍内閣までの間7年連続で日本の首相は交代しました。こうした状況では政府に何かを期待することが出来るはずもありません。

 

特に2009年に発足した民主党政権は、発足直後から普天間基地の移設などを巡って迷走。その後も党内抗争に明け暮れて、「決められない政治」、「政治の機能不全」などと呼ばれました。この政治の機能不全も失われた20年の原因の1つです。

 

以上、今回は失われた20年の経緯と原因について述べました。次回は失われた20年が終了したと考える理由について説明します。

 

以上

 


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