日本人は自信を取り戻したか?(その1)-賃上げは人への投資

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経済調査部 部長 門司 総一郎

 

以前当コラムで紹介しましたが、2013年6月に発表された「日本再興戦略-Japan is Back」は、「失われた20年」の本質を「経済的なロスよりも、企業経営者が、そして国民個人もかつての自信を失い、将来への希望を持てなくなっていることの方がはるかに深刻」と捉え、成長戦略の役割を「企業経営者の、そして国民一人ひとりの自信を回復し、『期待』を『行動』へと変えていくこと」と定義しています。

 

それから1年9ヵ月が経過しましたが、日本人は実際に自信を取り戻し、期待を行動に変えつつあるようです。今回と次回の「市場のここに注目!」は、賃上げやM&Aを手がかりに、日本人が自信を取り戻したかどうか考えてみますが、今回は賃上げについてです。

 

3月18日は春闘における企業側の一斉回答日でしたが、過去最高のベースアップ(ベア)や一時金の満額回答など明るい話が並びました。経団連によれば昨年の大手企業の賃上げ率は2.28%。これが今年の賃上げの最低ラインといわれましたが、かなり上回る結果が期待できそうです。榊原定征経団連会長も「集中回答をみる限り・・ベアと定期昇給をあわせて3%近い数字になるだろう」(日経、3月19日)とコメントしています。

 

主要企業の労使交渉妥結状況(見込みを含む)

 

今年の春闘の最大の注目点は昨年16年ぶりに復活したベアがどうなるかでした。当初経営者側は2年連続のベアに慎重でしたが、ふたを開けると自動車や電機などで過去最高のベアが続出。昨年見送った空運や損保などの企業にもベアが広まりました。

 

特に目立ったのは人手不足が深刻な建設と外食です。建設では大成建設の他、大林組が5500円(1.2%)、前田建設が5000円(1.3%)のベアを発表しました。また外食ではすかいらーくに加えて、コロワイドが4320円、元気寿司が5000円のベアを実施する見込みです。「すき家」を運営するゼンショーホールディングスは今期赤字の見通しですが、それでも2000円のベアを発表しました。

 

一方、賃上げに慎重なのは消費増税の影響で今期苦戦を余儀なくされた小売です。イトーヨーカ堂やイオンリテールでは労使の隔たりが大きく交渉が続いており、昨年ベアを実施したファミリーマートは今年は見送りを決めています。

 

恩恵は非正規社員にも及びそうです。春闘全体に大きな影響を及ぼすトヨタの交渉では、非正規社員の日給の引き上げ幅が過去最高の300円(月額6000円相当)に決まりました。また主要企業の経営者を対象にした日経のアンケートでは、49.2%が「非正規社員の賃金を改善する」と回答しています。

 

中小企業の交渉はこれからですが、こちらについても「大企業の賃上げの波及効果は大きいはずだ」(三村明夫日本商工会議所会頭、日経、3月19日)、「非正規労働者の賃上げ回答もあり、格差是正の環境整備ができた」(古賀伸明連合会長、同)など明るい見方が出ています。

 

当初経営者側が慎重だったにもかかわらず、盛りだくさんな結果になった理由はいろいろあります。安倍晋三首相の働きかけは大きかったと思いますし、企業側には「賃上げを惜しんだ場合、昨年のように景気が低迷すれば戦犯扱いされかねない」との懸念もあったと思います。また上場企業は最近株主還元を拡充していますが、「従業員にも還元しよう」というノリもあったでしょう。

 

これら以上に重要と思われるのが、ビジネス環境に対する経営者の認識の変化です。昨年復活するまでベアがなかったのは、いったん賃金を引き上げてしまうと業績が悪くなっても簡単に引き下げることができないためです。業績が伸び悩んだ過去20年はこれが普通の発想でした。

 

しかし足元の企業業績は2012年度から3年連続増益、2015年度も増益の見通しです。こうした状況では、業績の下振れを前提として物事を考える必要は薄らぎます。

 

また過去20年間は労働市場の需給が緩んでおり、容易に人を採用できました。しかし、景気の回復と団塊世代の労働市場からの退出により、足元は空前の人手不足、人員不足が事業拡大(あるいは現状維持)のボトルネックになりかねない状況です。こうした環境の変化を認識することにより、企業は高めの賃上げを認めざるを得なくなりました。

 

就職活動の本格解禁が3月1日に3ヵ月後ずれしたことも影響したと思われます。就職活動と春闘の時期が重なったため、賃上げ交渉での企業の態度がそのまま就職市場における企業の人気・不人気につながりかねなくなりました。2月27日に大成建設は、組合の要求を待たず会社側から高水準の賃上げを提案しましたが、その裏にはこうした「先ず隗より始めよ」的発想があったのではないかと思います。この就職活動と春闘の時期が重なったことも、組合に有利に働いたと見ています。

 

本来、業績や労働市場の需給の観点からすれば、賃金はもっと早く上がるべきだったのでしょうが、労使とも失われた20年の発想にとらわれていたために、そうならなかったのだと思います。しかし、昨年の春闘に政府が介入することによりこの発想に穴が開き、今年組合が高めの賃上げを要求してそれが受け入れられたことにより、今度はその発想に亀裂が走ったような状況です。

 

過去20年の発想を壊すことにより、企業経営者や従業員の考え方は大きく変わりました。経営者は企業を取り巻くビジネス環境に自信を持ち、守りの経営から攻めの経営に転じます。また従業員は低賃金に甘んじなくてもよいことに自信を持ち、今後も高めの賃上げを要求することになるでしょう。このように、今回の賃上げは日本人が自信を取り戻しつつあることを示す好例でしょう。

 

より前向きな発想も出ています。積水ハウスの和田勇会長兼CEOは「好業績のため積極的に人材に投資し従業員に還元したい」(日経、3月19日)とコメントしていますが、人にお金を投資することにより、事業を拡大するとの発想です。賃金を利益の配分と見なすだけでなく、設備投資やM&Aなどと同様に将来の成長のドライバーと位置付けるものです。

 

株式市場の賃上げに対する見方も変わりました。当初は「賃上げで消費拡大」のシナリオから消費関連銘柄が物色されましたが、途中からは賃上げを発表した企業そのものが買われるようになりました。これは投資家の発想が「大幅な賃上げは事業の先行きに対する企業の自信を示すもの」に転じたためです。「人件費が増えて利益が減る」との懸念もありますが、余り広がっていません。投資家の発想も守り(コスト削減)よりも攻め(成長)を重視するものに変わりつつあるようです。

 

このように今回の春闘における予想以上の賃上げは日本人の自信回復を示す1つの例と考えています。次回はM&Aを取り上げます。

 


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